今日はわたしが、息子ルーと娘アンの親になってから両親へ想う事を書いていきたいと思います(^ω^)
「親になってみないと、親の苦労は分からない」
とは誰が言ったか名言ですね!
今日は親への感謝の記事ですかね
目次
子どもを叱るとき、アドバイスする時、気が付けば「親」が乗り移る
これは意外でした!
わたしが子どもへ何か伝えたいときに、気がつけば自分の両親の言葉を借りていたのです
わたしはプロフィールでも書きましたが、ルーとアンと血のつながった親ではありません。彼らが10歳前後の時に、結婚を機に突然に親になったのですね(^ω^)
それでも、親としての勉強なんてしていなかったのに「親らしく」振舞えたのは、わたしが両親を自分でも気づかないくらい自然に「コピー」していたからだと思います
(^ω^)父さん、母さんありがとう
「未熟な子どもを許す」⇒「ずっと許されてきた自分」
子どもを相手にしていると、怒れることばかり!…なのはわたしだけ?
大人しか相手にしていなかったわたしにとって、子どもといる事は最初ストレスで仕方がなかったのです
言う事を聞かないし、自分勝手だし、こちらの気持ちを分かってくれないし…
怒れて仕方がなかったけど、それが子どもというものだとだんだん理解していきましたね(^ω^)
そして、許すことを覚えていくにつれ
わたしの親も、わたしに対してそうだったんだなぁ…
としみじみ思うようになりました。
親になってみて、学べてよかったことはたくさんありますが、一番良かったのがこの
自分の親に感謝できるようになったことです
たくさんの愛をもらっていたのだなぁ、と
それなのに、生意気な発言ばかりしていた自分が恥ずかしい(;´・ω・)
「子どもが心配」⇒「わたしの両親は、わたしを心配している」
本当に子どもと言うのはいろいろやらかしてくれて…
いつも心配ですね
そう…「いつも心配」
なるべく安全な道を歩いていてほしいと思うし
危ない事には、近づかないでいてほしい
世間の親が子供に、職業として「公務員」を勧める理由が、今ではよくわかりますね(笑)
わたしが、ミシェルと結婚すると両親に言ったとき
俺たちか、その女かどちらか選べ!女を選ぶようなら勘当だ!
と、父に言われたことも今では「心配してくれていた」のだなぁと感じますね
「子どもの幸せを願う」⇒「わたしの両親は、わたしの幸せを願っている」
そうなんですよね
親は子どもの幸せを願わずにはいられないのですよね(^ω^)
安全な道を歩いてほしい、というのもつまり「幸せでいてほしい」という事
…ホントは安全な道だけ歩いていく人生なんて、当人にとっては「盛り上がりの無い映画」のようなものでつまらないんですが(笑)
自分は冒険したいのに、子どもには安全でいてほしいという矛盾…
それが「親」というものなんですよね(^ω^)
親になってみて、自分が愛されていることに気づきました
つまり、そういうこと!
逆にそんなことにも気づかず、生きてきた自分も恥ずかしいですが…
気づけて本当に良かった!
まとめ
- わたしの場合「親をやってるわたし」は親そのものです
- 親の立場がなってみて初めて気づくことのなんと多い事か!
- 親の立場になってみて初めて気づいた「愛してくれてありがとう」
親になってみて、大変なことばかりだけど…
親になってみて、知ることができた
「愛されている事」
今度は自分の子どもにそれを伝えていかなくてはね(^ω^)
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